3. 基調講演1   講 師:伊藤 滋氏 早稲田大学教授 地域情報会議会長   テーマ:「都市再生の最近の動向〜21世紀型まちづくりの視点〜」  私は、この9月から都市再生戦略チームの座長をしています。既に、都市再生本部が内閣官房にありますが、それとは別です。総理に直結した小さいチームです。ですから、いずれ私は小泉総理に会うことになるのでしょう。総理も忙しいから、会う時間は5分か10分程度でしょう。その与えられた時間に、総理の頭に都市再生がどれだけの意味を持っているかを知ってもらうために、今、2週間に1回程度チームのメンバーが集まって勉強をしています。  その都市再生戦略チームの第1回目の会合に、私が用意したメモがありますので、これから話をしたいと思います。  1つは、アメリカに負けっぱなしのこの日本の再建を、都市再生の分野から手伝うということです。アメリカの企業が東京に進出してきています。証券会社がその最たるものです。アメリカの証券会社の名前を、この数年の間に町の土木建設業界関係者まで覚えました。国土交通省も、この国際経済の動向に敏感になってきました。何故なら、東京や大阪の街を良くしませんと、米国やヨーロッパの金融系企業を日本に引き留められないからです。  海外の金融資本が、東京を避けて上海や香港にいったりしますと、東京に入る金融情報が減ってしまいます。当然金の流れも東京を避けます。それらが香港やシンガポールに行ったりするのです。これは決定的に日本経済に不利です。情報交換によって大企業は仕事をしていますから、遅れた情報には価値がありません。その結果、日本の企業でも、本社をシンガポールに持っていけということになります。そういう時代になりました。  こんな東京に誰がしたという話が出てきました。日本のビルの家賃は高い、外国の若いビジネスマンを入れる住宅もない。外国から来る奥様方が行ける病院もない。子供の面倒を見るフランス学校、ドイツ学校、イギリス学校、アメリカ学校、それらは何もない。日本の大企業の社長さん方が一斉にそういうことを言い始めるようになりました。  そのスタートは、「日本経済再生の戦略」を打ち出した、経済戦略諮問会議でした。平成12年2月のことです。このときは小渕総理大臣でした。このときに土木建設業界は何をしていたのだという話が出ました。談合ばっかりして、業者同士でうまいことさえしていればいいというのはけしからん、そういうことをやるから東京や大阪、あるいは福岡、札幌の国際性がなくなっちゃったという批判が沢山出たのでしょう。  そういうふうにしたのは役所の中では誰だというと、簡単に言いますと道路屋が悪いという話になるのです。「風が吹けば桶屋が儲かる。」の逆ですけれど、だれが悪いかれが悪いとやっていくと、「道路特定財源が悪い、地方に金ばっかりやっている。」、「農業構造改善事業も悪い。」という話に落ち着くのです。「東京や大阪が一番自動車を使うのに、必要な環状道路が出来ていない。どこかの社長が住んでいる横浜の住宅地から虎ノ門まで、環状道路がないから1時間以上かかってしまう。」といった話があります。  「あるいはETCを普及させていなかったために、有料道路の料金所で交通渋滞になってしまう。そのために社長さんが重要な会議に遅れてしまう。」、そういう話が次々と出てきました。それは何かというと、大都会に公共投資をしていないからで、それらの金はみな地方にいってしまったということです。竹下総理の1億円の話まで悪い例として出てきます。日本人は、悪いことは全部他人になすりつけることがうまいのです。それから責任を分散して、みんなが悪いようにすることが上手です。みんなが悪いというと誰も悪くないのです。そういう社会が現在の日本です。  そういうことをやっていたら、中国にあらゆる面で負けてしまいます。上海の変化にはすごみがあります。私はこの間上海に行って、中国の要人に「あなた方は資本主義的共産主義を貫徹している。ところが日本は共産主義的資本主義を貫徹している。スピードはあなた方のほうが早い。」と言いました。資本主義的共産主義というのは、人民に選ばれた共産党のエリートがやることはすべていいということです。ですからその恩恵に従って上海では、日本だったら絶対にできない木造家屋の密集市街地をあっという間にきれいにしてしまいます。例えば上海政府はこう言います。「住宅を別の所につくったから、そこへ移りなさい。出ていかないとブルドーザーで全部壊してしまいます。」本当にこれをやってしまうのです。その土地をどうするかというと、外国の金も入っているデベロッパーに安い値段で売って、そこに高層マンションを造らせるのです。例えば、今までは3,000戸の低層で密集した住宅地であったのを、そこに6,000戸入る超高層マンション街にしてしまうといった具合です。これはスピードが早いです。なぜならば、共産主義的に意思決定が動くからです。  ところが、日本はもうみんなが資本家です。日本の国民が土地をどれくらい持っているのでしょうか。これは国土利用白書に書いてあります。皆さん方が持っている民間の土地の数は3,500万筆あるのです。1億2,500万人の皆様の平均所帯人員を3人ぐらいにしますと、大体1軒に1つ(1筆)の土地を持っていることになるのです。それらの土地のひとつはもしかすると、間口が3mぐらいで、奥行きが7〜8m、要するに土地は20〜30平方メートルかもしれません。こういうのも1筆です。それから北海道の奥地にある企業が所有している何百ヘクタ−ルという山林があります。これも1筆です。  とにかく3,500万筆の土地を皆さんがお持ちになるわけですから、皆さん資本家です。土地は資本であるということは、マルクス・エンゲルスが資本論で言っています。資本家はみんな頑張ります。そして役人に権力があるといっても、民主主義の下ではなにもできません。日本が負けたときにマッカ−サ−がそうしてしまったのです。だから何も決まらない、何も決まらないで議論ばかりしているうちに、21世紀になってどうも日本はおかしくなった。この状況を私は共産主義的資本主義といったのです。これをよくするというのは大変です。しかし、とりあえず2つ位のことはしようと私は考えています。  1つ目は、大資本が持っている土地を徹底的に使うということです。私はいろんな企業とつき合っていますが、結構いい加減なところがあります。企業は景気が悪くなると役所や大学の教授のところに来て、「この土地を何とか売れるように、公共事業を導入して道路を造って下さい。」なんて言っています。そこで一生懸命委員会をつくって2〜3年後にその答えを探すわけです。ところが景気が良くなって品物が売れ出すと、「その話はちょっと待って下さい。社長が代わったのでやめにします。」ということになります。大企業のそういう態度は日本のある種の県庁と同じです。しかし、さすがにこの10年間、大企業はへこたれてきました。ですから最近はそういう我がままは許されなくなりました。それなら大企業が持っている土地を徹底的に使って国際的な都市づくりを始めてよいわけです。しかしそれらの大企業は使う知恵がないのです。ですから全然別な情報産業系企業とか外資、あるいは知恵のある不動産企業、そういう人たちにそれらを使うことを考えてもらいます。それらの土地を外国の基準に合うように仕立てるのです。ここはロンドンスタイルの基準に合っている、こっちはマンハッタンスタイルに合っている、そういう土地開発をやるのです。そういう試みが成功すれば、東京や大阪や名古屋に、日本にだって上海やシンガポ−ルに負けない住み心地の良い場所がつくれると思うのです。そのように東京や大阪を変えちゃおうというわけです。しかし、この話は庶民には関係ありません。つまり、皆様方がお家で奥様と二人の土地をどうするかといった話とは無関係です。「うちの土地は実は借地で、借地権の期限がそろそろ切れる、地主が何ていうかな。」という議論とは関係ないのです。  私のしたい2つ目の仕事は、このような小さな工夫にかかわることです。都市の真中にお住まいの方は県庁所在都市でも、大体40坪か50坪の土地に、戸建ての25坪か30坪のお家を建てられているというのがよくある話です。問題はその土地がどういう履歴をもっている土地かということです。まだロ−ンを払い続けている土地なのか、借地権が設定されている土地なのか、あるいは自分の土地で自分の建物であるけれども実は担保として銀行に取られているか、その担保もどれくらい複雑な抵当権が設定されているのか、こういう土地情報がはっきりしていませんと、その土地には簡単に建物を建てられません。日本は皆さん資本家ですから、自分の土地はどういうふうに使ってもいいと考えています。その結果として、見えない複雑なしがらみがあります。それを解いて、それらの土地の集合体である街の再開発をしやすくするというのが21世紀の仕事になります。代々の総理の頭の中にも、そういう話題が入っていたのではないかと私は思うのです。皆様のお住まいの土地が今のままでいいのならなにもすることはありません。だけど皆さんが不平不満を言いながら暮らしている都市がおかしいというなら、やっぱりそれを解かなければなりません。これは極めて日本的な課題です。  この2つの話が、実はこれからスタ−トをします。そういうまちづくりを、一体誰がするのでしょうか。なるほど国際的なまちづくりをすること、そして20世紀の後半に我々がつくり上げたどうしようもない町を直すことはわかった。しかしどう直すのでしょうか。それがないと具体的な仕事にならないわけです。皆さんの税金を大都市に使おうとしても、その使い方がいい加減ではもとのもくあみの都市をつくるだけです。これまでの街づくりはこんなに時間がかかって、そしてあいまいなことを解かなければできないのかという経験を私は現在しつつあります。私が今渦中に入っている事例を申し上げます。築40年の古いマンションの建替問題です。地震に弱い建物で、そこに住民50人が住んでいます。住民もこれは地震の時に危険だ、建て替えようという意識を持ち始めました。幸いなことに隣の大きな地主さんが、自治体と話をして再開発に踏み切りました。その端にうまく付くことができたので建替えに必要な容積率を手にすることができました。そこはもともと容積率300%だったのですけれど、その8割の240%をもらって540%の容積率になりました。こんなことは50年に一度、100年に一度あるかないかの好運です。そこからが具体的な問題の話です。300%の容積率を540%にするというのは、再開発地区計画という都市計画の相当高度な制度を使わなければいけません。高度なというのは消防法とか建築基準法を普通に使うのとは違います。頭が良くていろんなことを知っている役所が、この高度な制度を使って、誰から見ても間違いなく素晴らしい建物ができるように制度を使わなければならないのです。ところが、そういう制度の運用を末端でやるのは、大体が市役所、区役所の建築課の担当係長です。その係長から見ると、とんでもない話がおりてきた、いつも3階か4階の小さい鉛筆ビルの確認申請を、基準法の赤本を見ながらチェックして、これでオ−ケ−と印鑑を押していたからです。都市計画という法律と基準法と両方を頭の中に入れて、ある程度自分の裁量でいいものをつくらなければいけないというと、なかなか印鑑を押せないのです。何で押せないかというと前例がないからです。こんなことしたら都庁の職員や市町村の助役から不備を指摘されるかもしれない。お前は何でこの地区の再開発だけ面倒をみて、ほかのところはしないのだ。このようにいろんなことが頭をよぎるわけです。だから同情できるところもあります。しかしこうですから行政手続きにとても時間がかかります。要するに仕事を歯切れ良くやるといったときに、いくら上の方で小泉総理や中央官庁が号令をしたとしても、一番私達の生活に結びついている役所の係長クラスがうんと言わなければ物事は動かないのです。この話は戦後ずっとつづいています。  もっと大きな話をします。中央官庁が経済振興のため物流システムを改善する制度をつくったとします。その具体的な運用は通常県庁が行います。ところが県庁の担当官が中央省庁で考えていることを理解できない場合が生じます。そうなると県庁の担当官は制度の趣意について中央官庁の担当官に伺いを立てるということになります。この結果地方分権はされても不思議なことに実体は中央官庁集権的な行政がなされるのです。いつも中央官庁に向かって仕事をしていた職員に、自分でやって責任をとれって言ったって動けないわけです。自らの責任で仕事をするという行政慣行が日本社会にないということです。それに対して画期的な判決がこの間おりました。エイズの裁判でなにもしないことは罪になるという判決がありました。被告は技術屋ですからまじめな人です。しかし、まじめな技術屋であればあるほど、危険をおかす判断が出来ないのです。結果としてまじめな技術屋さんが多ければ多いほど、世の中はおかしくなるかもしれません。僕も建築の技術屋ですからよくわかります。その技術屋さんが、今までの技術ではイエス、ノ−を言えないから放っておいたわけです。これが無作為という罪になったのです。これは画期的なことです。僕はいろんなことをやっています。裁判を地方政府とやって、ついこの間勝ちました。これは4人の学者が、ある東北の町がやったことはけしからんというので裁判を起こしたわけです。自治体がここでも公の立場であまく考えていたことを私達がとがめたのです。4〜5年前までですと、弁護士も法学部の大先生もこれは地方自治体が勝つに決まっていると言っていた裁判でした。要するに名誉毀損で訴えたのです。国際的信義にもとる行動をその地方自治体がやったわけです。学校の教師は名誉だけで生きていますから、国際的な取り決めをしたことをとがめられたら、外国の友達に面子が立たない。一番許し難いことを地方自治体がやったわけです。その地方自治体から見ると、そんなことは理解できないのです。これはやめたっていいじゃないかと平気でいるのです。実際にイベント屋を呼んでホテルに金を払っているとか、そういうのではないのだから、或いはせいぜい200〜300万円の金しか先生方は使っていないのだろうというわけで、やめたっていいじゃないかと気楽に考えていたわけです。町長の後ろには議員さん方がいるわけですから、気楽にやめちゃった。それが今から4年前です。それで頭にきて、私達は裁判を起こしました。4年前は法学部の先生から負けるかもしれないと言われました。しかし、地裁判決があって、高裁に持っていって、和解もけりました。高裁判決は名誉毀損を認めてくれました。学者に対して非礼なことをした地方自治体の姿勢は悪いという判決をもらって、慰謝料も取りました。そういう点で、今役所の足元が揺らいでいるのです。今までは、印鑑を押さないでもいいだろう、或いは最後は民間と争ったって裁判所が、役所の方がいいというに違いないと思っていたのです。その確信というか常識が急速に崩れ始めているのです。ですから、みんな頭の中を切り替えていかなければならないのです。これは何も役所だけではありません。民間だって悪いことをする連中がいっぱいいるのです。  今いろんな例を挙げましたけれど、これなどはすべて契約とか責任をいい加減にしていることから起きている話です。本当に、皆様方の子供さんが、いい町や区に住んでよかったというためには、約束は守るつまり契約は守るという社会通念を確立しなければならないのです。ルールをつくったらルールに従う社会にしていかないとだめなのです。そのことを、まちづくりの実践を通してやってみようというのが、今都市再生の本当の動きなのです。  みんながもたれあって、責任はどこにいくかわからない、役所もわからないときは黙っていればいいということをやっていたら、質の高い社会はつくれません。子供さんや孫がちゃんと安心してこれから築く都市を引き受けて、そこで生活していけるような、そういう都市づくりをやるのが今の50過ぎの男どもの使命なのです。  精神論はこのぐらいにして、都市再生で私が考えている具体策をいくつか述べてみます。  まず、今の日本がガタガタになっているのを何とかしなければいけないということで、都市づくりでも3年から5年ぐらいの間でやれることをまずプロジェクトとして取り上げるという主張です。経済を活性化し金融システムを健全化するためには、地価が下落した土地に何とか付加価値をつけて、地価の底止まりをはかるべきです。その手法として、工場跡地や埋め立て地と言った大きな遊休地に住宅をつくったり、公園をつくったり、保育所をつくったりしなければなりません。現在国民貯蓄は、1,400兆円あると世の中で言われております。この国民資産を都市の構築に積極的に使うことを考えるべきです。その手法が民活です。民活とかあるいはPFIという方法です。この民間企業を、積極的に公的な市場に導入することで不良資産化した土地に付加価値をつけることができます。それから都市整備に係わる、行政効率を向上させ民間活動を拡大し、新しい都市的雇用を創出することも考えるべきです。それから、国際的に開かれたビジネスと文化活動の場を提供することも大事だと思っています。これは先ほど言った大企業が持っていた埋立地とか工場跡地を直したりよくするときに、ただオフィスをつくるだけが能じゃない、少しは文化的にしないと海外諸国から相手にされないということです。特にヨーロッパの人は、現在の日本の都市を軽蔑していますから、このままではヨーロッパの人たちは来なくなるかも知れません。文化のにおいがすごく、重要なのです。  NHKの「その時歴史は動く」で、アインシュタインが日本を訪れた1920年頃を紹介していました。当時の日本のイメージは、非常に美しいという姿でした。ほんとに精神的に気持ちが和やかになる日本人がそこで生活していた。それがヨーロッパ人の通念でした。ヨーロッパの、第一次大戦後のおぞましい都市から見れば、こんな美しくて極楽のような国はないというふうに彼達は思ったに違いないのです。それが1920年のときのアインシュタインの記述です。それが70年経ったらどうしてこんなことになったのでしょうか。ですからヨーロッパの人たちは、今の日本を軽蔑の眼でみています。アメリカ人は似たようなことを日本人はやっていると思っているでしょう。ですから、大規模な開発をやるときも、文化活動をちゃんとしてくれということです。  次に行政の効率的向上とは、どういうことでしょうか。例えば4つの法律がないと開発許可をもらえないとします。開発許可っておわかりですか。例えばある埋立地に工場があったとします。工場が休業したのでその工場を壊して、今度はそこに商業的施設をつくるとします。そうすると道路もつくらなければならない。工場的利用から商業的利用になると土地利用が変わるでしょう。そのために、もしかすると埋立地の護岸もみんなが楽しくなるように緑道にしなければならないでしょう。これは区画・形状の変更と言うのです。  区画・形状の変更をするときは、必ず役所に開発許可を申請しなければなりません。これはヨーロッパ的考えです。日本もそれにならったわけですからいいことなのです。いいことなのですが、その開発許可をもらうといったときに、いろんな法律が関わってきます。港湾法とか都市計画法、消防法、建築基準法、これ一つ一つ解いていかないと開発許可が下りないのです。これ縦シリーズでやっていったら何年かかると思います?港湾の認可は下りた、次は消防法だ、消防法の認可も下りたと、次は環境アセスで、環境アセスの法律も終わった。これ全部1年ずつやったら6年ぐらいかかっちゃいますよね。その間に手戻りがあります。しかしこれは役所にとって当たり前の仕事の流れです。  しかし、今の経済が目まぐるしく変わっていくときに、こんなことやっていて良いのでしょうか。気がついたら、申請した企業は他の企業と合併するということになってしまいます。そういう経済状況の変化に役所の手続きは無関係に動いています。企業は合併する前に持っていた埋立地を何かに使いたかったかも知れません。つまりは役所側の責任は個別の担当課ごとに分割されているのです。私の課はオーケーですがほかの課がまずいのでしょう。こう言い逃れをするのです。役所のこういった行動は、今の国際化された民間にとっては耐えられないと思います。つい20年ぐらい前まではそれで良かったかも知れません。日本の国内では、日本人だけが和やかに住んでいて、日本の国際経済化というのは、日本のメーカーが外国に品物を売るだけだったからです。今度の金融と情報の国際化は、この状態を変えました。外国の人も情報も金も一緒になって、東京大阪を揺り動かすからです。それに日本の企業が対抗するためには、3年とか5年で企業が仕事をまとめていかなくてはなりません。それ以上役所とはつき合えないという不満が企業の中に出てきています。ですから行政手続きを並列に並べたらどうだろうかという考え方が役所のなかから出てきました。港湾法も建築基準法も消防法も都市計画法も並列に、その手続きを始める訳です。そこで、担当課の職員が相互に情報交換をやりながら、できたらそれに責任を持つ担当者を1人決めます。これはいい企業の集合体だ、だけど役所の手続的に問題がある、縦系列じゃ間に合わないなといったら、その担当者が各課を回って、「お前、これを半年でまとめろ。」というわけです。こういうことをしないとスピードアップしません。例えば、外国企業が埋め立て地にショッピングセンターを3年以内に作りたいとの契約を商社としたとします。3年経ってできないと、約束違反になります。こういうところに切り込まないと、仕事はうまくいかないという話が私達のまわりに出てきています。この話題が行政の効率的向上により、民間活動を拡大するということです。  もう1つ言いたいことがあります。新しい都市的雇用を創造する方策についてです。ここにお集まりの50歳過ぎの方、IT関係ですから定年を終わられてもジョブはいくらでもあると思いますけれども、土木建設業界の55歳を過ぎた方の仕事探しは深刻です。今まで営業だといって酒飲んで、お客さんと話をして、仕事が取れた、口銭はいくらだということをやっていた人たちですから、情報処理に関しては能力がないのです。SEには絶対なれません。プログラマーにもなれない、そういう人達が土木建設業界にいっぱいいます。私のように国交省に関係が深い学者ですと、それは深刻な話題であることが良く理解できます。50歳過ぎのベテランを、行政効率の向上という分野で使えないでしょうか。いくつか考えられることがあります。例えば工場跡地が土壌汚染されていたとします。汚染された土壌をどう取り除いて、それをどこに持っていったら良いのか、それには何年ぐらいかかるのかというような課題は、土木建設業界を退職したベテランに任せれば良いのです。これは技術屋がやることですけれども、業界のベテランならば事務屋だってわかります。汚れた土をどういうふうに処理したらよいかは、情報処理技術者にはわからないノウハウなのです。  それから次のような仕事もあります。東京や大阪の大都会にお住まいの方の住宅では、お父さんが死んで相続になると、必ず測量屋さんが入って土地を調査します。そうしないと正確な坪数がわからないのです。わが国でも皆様方の土地の権利を確保している公図というのがあります。これは法務省関係の役所に保存してあるのですが、ものすごくいい加減な形の図面なのです。ひどい話が京都にあります。京都では法務省に登記されている公図はないけれども、俺の土地は何坪ここにあると地番、地名がはっきりしている土地があるそうです。現場へ行くと実際にその土地はあるのです。何でそうなったかというと、300年前からそうなっているのだそうです。そうなると公図が間違いだと言うことになるのです。日本人は土地を元手にして日本経済を広く膨らませていったわけですが、その根本の皆さんの土地がはっきりしていないというのがあるのです。  地籍調査というのがあります。地籍調査法という法律に基づいて皆様の土地を少しずつ調査しているのですが、都会の民地では、測量はあまりされていません。役所では、「地籍調査進んでいるか。」と問われれば、「はい、確実に毎年1%ずつ、民地について調査を進めています。」と応えます。ですが、どこをやっているかというと、森林と農地を測量しているのです。国の担当課では、国土面積の調査済みのところは、今年は何百平方キロであるといいます。ところが、何と大都会の中心部には手を触れていません。都会の住宅地で敷地境界をきめることは、血の雨が降るような、けんか腰でやらなければならない仕事なのです。東京23区で、国土調査法に基づく地籍調査で公図がきちっとしている民間の宅地は2割ないのだそうです。大阪市に至っては7%位しか地積調査がすんでいないそうです。北海道とか九州とか東北の畑については大体終わりました。これは当たり前で、農業構造改善事業をやれば、ちゃんと地籍は決まるのですから、当たり前の話です。地籍が決まらないと何が起きるか、町を直すときに、民間同士の境界をめぐる争いというのは大変なのです。まちづくりではこの境界を確定しない限り次の仕事は動きません。ですからそれで1年や2年、あっという間に過ぎちゃうのです。  私もある町で、次のようなことを経験しました。小さい町ですが、役所が情報の的確なつかまえ方を知らないことで、次のような事態が起こりました。国土調査法に書いてあるのですが、ある調査区域の調査をするときには、国土調査法の施行令第何条に、必ずこの調査区域に隣接している地主を呼んで、現場に立ち会わせ、その確認のもとに測量をしなければならないと書いてあるのです。ところが、十何年前の話ですから、その頃の担当者は、「まあいいや。ここだけは、調査する土地の地主だけ立ち会わせて、境界線は一応こちらの地主の了解済みということで引いておこう。」と、調査を済ませてしまいました。赤線で書いておけばいいとして処理をした訳です。図面を4、5年前に私の友達が見つけました。彼の土地のところに変な赤線が入っているということになったのです。それで国土調査法の施行令を調べたら、役場が法令違反をしていることが明らかになったのです。これは大変おもしろい裁判になるのです。そういう法令違反をした町役場がやっていることに対して、県庁はどういう監督権限があったのか、それに対して賠償責任を問える。こういう話まで出てくるのです。  ですから、地籍を調査することは、21世紀にいい町をつくるための基盤としてものすごく大事なのです。これがきちっとしていれば、すぐに土地の面積が確定し、そこでの借地権が金額にすると幾らになるかもはっきりする。そのためには境界をめぐって争っている隣人同士を「まあまあ」となだめることが必要です。この「まあまあ」となだめる技術は、土木建設業界の用地担当の人が一番得意です。夜お酒を持って行って、何とかと話をする技術です。測量自体は単純な技術です。それから少しIT的なことを言えば、GPSで相当のことがわかります。相当のことがわかりますが、最後のつめのところは関係者が立ち会わなければなりません。最後は対人間関係です。  地積調査を東京、大阪、名古屋、京都、福岡、こういう大都会で実施すれば毎年何万人かの土木建設業界を定年退職した人の仕事を創ることが出来ます。職業意識を持ってまちづくりに貢献する仕事があれば、55歳定年の男達にとって、そのほうがかっこいいです。そういうことも考えていかないと街は良くなりません。効率よく町をつくる制度だけでは、日本の都市空間はうまくつくれません。市民参加による多様なまちづくり運動を展開するということを強調したいのです。奥様方はいきいきとしているのですが、企業で一生懸命働いてきた男達が、退職後はあまりぱっとしないという話を特に大都市圏で良く聞きます。雇用にも関係しますので、働いてもらうほうが得策です。  そのためにはNPOをいっぱい社会の中につくってもらう必要があります。どういうNPOでもいいのです。NPOといっても株式会社とほとんど同じですが、違いは、配当をしてはいけない点です。利益を生み出してはいけないのです。多くのNPOがいろんなまちづくりに関わって、自らの経験を通してノウハウを身につけます。NPOがまちづくりの中でよくおきる役所対住民という対立構造の間へ入ることによって、先ほどの地籍調査の「まあまあ」という方ではないですが、対立関係をある程度早く収めることができると思うのです。要するに対立のために無駄にすぎてゆく時間を縮めることができます。住民と市役所の対立関係のために、ショッピングセンターをつくることができないとします。5年経っても答えがでないとしましょう。答えがないというのは恐ろしいことです。やめるか進めるか、とにかく答えが出ることが一番重要なのです。そこへ街づくりを得意とするNPOが介在することによって、「1年過ぎてもまだイエス・ノーがわからないなら、ショッピングセンターはつくらないほうが良い。」というアドバイスを市役所にします。それは市役所にとっては、渡りに舟の処方箋かもしれません。こういったNPO仲介業はこれからいっぱい増えると思います。モデレーターとかファシリテーターとか、カタカナをつかった仲介業が生まれてきます。こういうNPOには、年寄りの知恵、年寄りの雰囲気が役に立ちます。  これらのNPOに対して、恐縮ですが皆さんの国税を使わせていただきます。NPOのリーダーに、人件費をとりあえず3年間ぐらい補助いたします。そういうNPOと住民と市役所の議論の中で、どうしてもここに公園をつくりたいとか、どうしても保育所をつくりたいとなったら、改めて箱ものについてお金を出すようにしましょう。そういうふうにNPOを使おうということです。要するに知恵を使ってちゃんと理屈を立て、街づくりの対立事項を整理する専門職がこれらのNPOです。そして市民社会の中に、はっきりと約束は守るという契約の概念が生まれたときに街づくりは21世紀型になると思います。  今までのように、何だか知らないけれど陳情・請願をやって、代議士や県会議員を動かすというのはもう止めたほうが良いでしょう。頭を使わないで、義理・人情とか仁義とかやくざ路線につながるようなやり方での街づくりはすべきではありません。それは危ないことです。知恵を使って議論をして、お互いを信頼し、信頼の上に契約をつくり、その契約は必ず履行する。そういう公と民の対話を進めた結果として、公園をつくれ、保育所をつくれということになれば、市長は受けざるをえません。これは当然、税金をそのために使うということになります。  それでは、都市再生の新しい試みは、どういう地域で重点的に行われるのでしょうか。まず大都市の戦略地域があげられます。これは大体が臨海部です。企業が臨海部の工場を売らなければいけなくなったときに、そこをどう再開発するかという話です。それから市街地内部の交通拠点もその対象になります。これは地方都市の中心市街地にもあるのですが、JRの駅前ではなくて私鉄の駅前を言っているのです。私鉄の駅前を皆さんは、ほんとうに満足しているのでしょうか。実体はとても立派とは言えません。こういうところをきちっと直していくのがこれからの都市再生です。役所や企業を退職した60過ぎの男達がリーダーになってNPOをつくります。そのNPOが駅や駅前商店街を使っている中年の男性やご婦人の意見を聞きながら、市役所に駅前をこういうふうに直したらいいという案を持ってゆくのです。その案を市役所はきちっと受けとめなければいけません。こういう実験をこれからしてみたいのです。  まちづくりについて、役所の職員のほうが市民よりも知らないことが多いのです。これは当たり前の話しです。特に40代ぐらいのご婦人の方は、気楽にヨーロッパやアメリカに行って、町の真中を歩いて写真を撮ってきます。そして、どこの博物館がよかった、どの美術館がよかった、どの橋がよかったと日本に戻ってから話し合いをしています。これは知的な見学です。ところが、市役所の職員は、皆様の税金で出張するわけですから、そんなことできないのです。この頃は市役所も若い人を海外に出すようになりましたが、10年ぐらい前は定年退職前の課長さんや部長さんが、ご褒美ということで外国に行っていました。それではなんの役にも立ちません。市役所の若い職員が目的意識を持って外国へ行って見て来なければいけないのですけれど、役所の組織ではなかなかそのようにいきません。おまけに英語ができないでしょう。日本の女性は強いですよ、英語ができなくたって日本語でしゃべってアメリカ人にわからせてしまいます。うちの母親なんか随分前ですけれど、ニューヨークのマンハッタンのど真ん中で、八百屋へ行って「これ、ちょうだい」と言うと、ちゃんと買うことができました。対談の仕方は日本の女性のほうが上手です。日本の男は、かっこつけますから英語ができない。  ですから、情報のとり方にも役所と民間との間に決定的な差があります。しかし計画や事業の決定は役所の職員が職務上やらなければなりません。それならば、良い行政計画案であれば、それを民間がつくったものでもあっても、正式に認めてはどうでしょうか。いいかどうかの判断は、大学の先生などの専門家と一緒に考えれば良い。職員に必要なことは、この決定が手続き的に正しかったかどうか、もしも後で間違ったとしても、今まで住民とつき合ってきた過程で、正しいと自分に確信させた決断であったかどうかです。こういうことを役所の職員が思っていればいいのです。ところが今の行政の姿勢は、住民や企業を指導するというものです。建築指導課という名前は、その代表例です。何を指導しているのでしょうか。  それから地方都市の中心市街地も都市再生の試みの対象です。率直に言って、中心市街地で、都市再生の新しい試みをやれば全部うまくいくかというと、そうではありません。なぜならば、中心市街地が衰退するように、政府の施策はこの半世紀ずっと行われて来ています。農民は自分の農地で、米もとれないようになったら、宅地として売りたくなります。政治的にそれを宅地にするように運動します。そこへ市民は戸建て住宅を建築します。ショッピングセンターが来るというと、農民は土地を売りたい、貸したいと思います。道路を早くつくれと地元の人たちは要求します。早くつくるには街の真中にはつくれませんから、田んぼの真中につくります。つくるとすぐ、道路に面したところは宅地になります。そこにラブホテルとかファーストフードとか自動車の修繕屋が、あっという間に建物をつくります。そういう建物は10年ももてばいい安普請です。そこでパートの雇用が発生します。だから経済的には非常にいいのです。しかし、そういう道路を造るほど、土地利用が荒れてゆき、現在の郊外の惨状が出現したのです。  それを突然まるで人が変わったように、町の中心市街地が大事だと言っても、だれも信用しません。中心市街地でご商売されている方は、役所の職員よりずっと頭がいいのです。よくある話として、おじいちゃんは中心市街地にある老舗の家でしぶ茶を飲んでいればいい、店は象徴的に開けるけれど売れなくてもいい、その建物は全部償却していますから借金も無い。長男はどこかのバイパス道路に店をつくって、次男はショッピングセンターに店をつくって商売をしている。そのようにして一家全体でリスクを分散し、ビジネスの機会を多様化しています。その一家としては中心市街地に客が来なくたって、一家としては、全部うまくいっているのです。こんなのは商人が考える当然のことです。ですから中心市街地の再活性化はうまくいかないのです。  ですが、中心市街地に市役所も県庁も金をかけたてきました。区画整理をやったり、駅前広場をつくってデパートを入れてきたりしてきました。少しぐらいは中心市街地をよくしなければという話も出てきます。ですからこれは都市間の競争になります。隣の町では中心市街地はうまくやったけれど、こっちは全然だめだとかいうことが明らかに起きてきます。中心市街地にどれだけ人を集めて、そこに商売を展開させるためにはどうしたらいいかという知恵比べになります。知恵を出し合った民間の提案書を市役所が採用して、中心市街地の再生に取りかかれば、取りかかった都市間の競争が始まります。そして必ずかなりの都市は失敗します。要するに、地方都市の中で失敗ということが次々と起きてくる時代が始まります。何故ならばお金がないからです。皆様の税金はだんだん少なくなってきます。その中で福祉とお医者さんにお金を払わなければなりません。街づくりに使える税金は限られています。かっこよく税金を皆さんの中心市街地に持っていけません。市役所は勝負するしかない、これは国内競争です。大都市の臨海部はすでに国際競争に巻き込まれています。  それから木造密集市街地を改善することも都市再生の大事な課題です。東京が一番深刻です。地震が来れば、木造密集市街地では、建物がつぶれて火事になり多くの死者が出てきます。こういう木造密集市街地を作ってきたのも私達なのです。土地を分割して誰かに売ってしまえば、後は知らないよという一人一人の行動の積み上げが木造密集市街地になったのです。これを直さなければいけません。直すためにはここでも知恵比べを出す組織が必要です。それが先ほど言ったNPOに期待するのです。街づくりにNPOが活動して、ある木造密集地の中に4m道路を通す見込みがついたとします。例えば、その道路にあった土地の老人が死んで相続の話が出てきたとします。もう一つの土地は担保になっていて競売に出そうだ、この二つの土地をつなげると4mの道路ができるよとNPOは考えるわけです。そこで市役所がその二つの土地の両側1mずつ土地を買ってくれれば6mになる。6mになれば何とか消防車が入れるのです。  ところで、小さな子供の遊び場をつくり、そこに面する民間の建物を建て替えて、託児所をつくる街づくり事業を考えてみましょう。子供の遊び場のための用地取得に1億円かかるとしまします。公共事業から見れば1億円ぐらい小さい額です。建物の建て替えが2億円か3億円かもしれません。NPOが仕事をまとめて、そういうのが無数に起きてこないと、木造密集市街地はよくならないのです。今までこれを直せ、或いはこれを決定したと役所は言っていましたけれど、それで街は目に見えて変わったでしょうか。やらないのではなくできないのです。市民の対抗意識に役所がつき合うならば、その仕事にかかわる役所の職員を倍にしなければだめでしょう。それで懲りている市役所はいっぱいあります。  市直営の区画整理事業、再開発事業をやった市長さんが昔いました。そこで一度担当させた職員はずっと抱えなければいけません。そんなことは今の市役所では到底考えられません。そこで専門職を一時的に雇うことが必要なのです。市役所もNPOに相談し、専門職を嘱託として雇ってみたらどうでしょうか。木造密集市街地のどこでもいいのです。どこかで今までより公共用地が増えることを、市役所とNPOが一緒になって考えるのです。道路でも保育所でも公園でも何でもいいのです。公共の用地が増えるということは、燃えにくくなるということです。そういうことを考えられる嘱託がほしいと思います。  こういうことは55歳を過ぎた、例えば総会屋対策をやっていた会社の総務課長さんが向いているかもしれません。何故ならば、住民がゆったり話せる雰囲気をもっているからです。あるいは土地供給公社で長いこと用地担当をしていた人が、都市計画やまちづくりのことを勉強してNPOとつき合うようになれば、いろんな小さいまちづくりの種を住民との対話から探すことができるのではないでしょうか。こういうNPOをまきこんだ都市再生という街づくり実験は、対象期間を3年から5年間にしてみたらどうでしょうか。なぜなら役所が5年かかるというのは10年かかるのです。役所が初めに5年計画といってもその計画の7割ぐらいできれば成功といいます。ただし、7割をつくるのに10年かかります。なぜなら役所には時間の厳しさという考えが少ないからです。しかも単年度予算です。一度この事業が採択されれば、初めにこれ30億円ですといっても、採択されればもう役所の常で、50億円かけてもいいのです。この事業は続けてやらなければ完成しない、だから時間の観念とコストの観念が少ないのです。ですから民間の常識から云えば3年から5年で役所の仕事もやってもらわなければいけない。そこでPFIの話がでてきます。PFIで一番いいのは、事業費が安くなることもありますけれども、物事を完成させるスピードです。これがものすごく大事なことだと思います。  私は今インターネットのホームページで、まちづくりの話がどの程度議論されているかを調べています。わかってきたのは、まちづくりはフェース・ツー・フェースだけではなく、インターネットの中でものすごい勢いで動いています。例えば幕張にできた住宅団地を維持・運営するために、そこの住民が多摩ニュータウンの長沼にあるまちづくり運営のインターネットグループに話を聞きにいっています。日常の交流はインターネットで情報交換しています。  この間東京では、小田急の高架化に対して裁判所が反対の判決を出しました。高架化はけしからん、つまり地下のことも考えるべきだから高架化は違法であると地裁が判決を出しました。それに対して、翌日インターネットのホームページで、ああいう裁判所の意見は全くナンセンスであるということを、堂々と書いている奥さんがいました。これはホームページに出ています。この奥さんの意見は小田急の沿線だけでなく、日本中でわかってしまうのです。「高架化はけしからん地下にすればいいと、一体誰が言ったのでしょう。」という話しとか、「今までに何年かかったか、何でも学者の言うことを信用しないほうがいいわよ。」という話も、つまり本当の話がインタ−ネットのチャットで出てくるのです。  港区役所が麻布十番で駐車場をつくった話も住民のホ−ムペ−−ジに出ていました。「あなた1台いくらかかるか知っているの、1台あたり4,800万円かかっちゃったのよ。」というホームページもありました。こういう会話が沢山ホ−ムペ−ジに出ているのです。これはすごいことですよ。ですから今日では、IT抜きに都市再生は進められないという時代になってきました。  以上で私の話を終わらせて頂きます。どうも失礼いたしました。 (文責:情報化フェスタ実行事務局)